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　長きにわたる厳しい冬がようやく終わりを告げ、三寒四温を重ねながら気候は徐々に暖かさを増し、繚乱と咲き誇る色とりどりの花々に、人々は新たな一年に対する想いを馳せて、希望に胸を躍らせる――
　
　四月という月に対する世間一般のイメージといえば、概ねこんな感じになるのだろうか。確かに、学生にとっても社会人にとっても新たな年度の始まりとあっていろいろな節目になる月だし、春の穏やかな陽射しに気分も浮つきがちになるのは分からないでもない。だが、少なくとも俺にとってはそうではない。特に今の俺の中には、希望などというモノは欠片たりとも存在しない。
　俺の名前は石神慶太という。”慶太”という名前は親父が考えてくれたらしい。慶びの多い人生でありますようにという思いを込めてつけてくれたそうだ。俺も”慶太”という名前は気に入っている。しかし、どうやら今のところはまだ、親父の願いは天に届いていないようだった。
　年齢は２１歳。血液型はＢ型。
　趣味は、マンガを読んだりアニメを見たりゲームをしたりとそんな感じ。最近は特に”レグナス・ファンタジー”というオンラインゲームにハマっている。
　タバコは吸う。酒は時々飲む。
　友達はほぼいない。女性経験については、高校時代、体育祭のフォークダンスで好きな女の子の手を握ったことがある。
　職業はフリーター。近所の喫茶店でアルバイトをしている。先月まで大学生だった。大学は中退した。
　大学を辞めた理由については、特にこれといった事情があるわけではない。故郷の父が病気で倒れて世話をしなければならないとか、恋人を妊娠させてしまって今すぐ働かなければならないとか、そういったやむを得ない事情はまったく存在しない。
　大学入学とともに生まれ育った故郷を離れて一人暮らしを始めた俺は、入学前こそ燃え立つ情熱に満ち溢れ、昼夜勉学に励んで一流の社会人になってやろうと意気込むとともに、たくさんの友達と夜遅くまで繁華街を闊歩したり、可愛い彼女と真昼間から部屋でいちゃいちゃしたりして、薔薇色のキャンパスライフを心ゆくまで堪能しようと心に決めていたのだが、その決意を貫くためには、俺には決定的に根気と行動力が足りなかった。
　可愛い彼女はおろかろくに友達も作ることができず、面倒だったので部活やサークルにも参加せず、徐々に学校に行く日が減り、家に籠る日が増えていった。
　そうしている内に、当然の帰結としてぽろぽろと単位を取りこぼし始め、ついに大学から留年通知が届いたのが先月の初めのことだ。
　留年通知が届いたその日に、俺は両親から実家に呼び戻された。実家に向かう新幹線の中で、俺はぼんやりここから外に飛び降りたら楽になれるのだろうかなんてことを考え続けていた。
　俺は留年することを予期していたのだが、両親には前もって伝えていなかった。
　事ここに至ってさすがに申し訳なくて、言い出せなかったのだ。
　実家に帰って、俺は両親にひたすら謝り倒し、ひたすら怒鳴られ続けた。
　いつものんびりとしている親父の顔が怒りに膨れて赤紫色になるのを見たのも、いつも喧しくて無駄に明るいお袋がさめざめと泣くのを見たのも、俺が絶賛反抗期だった高校二年の夏以来のことだった。
　親父に息を切らすほど怒られた後で、お前はこれからどうするのだと訊かれたのだが、もちろん答えられるわけがない。
　将来のプランなんて幼い頃から一度たりとて立てたことはなかったし、大学を続けようにも、もはや一年浪人したくらいでは卒業できそうになかった。
　結論として、俺は大学を辞め、しばらくは一人暮らしを続けながら、こんな俺でも雇ってくれる就職先を探すことになった。
　実家に戻らなかったのは親父の言いつけである。
　その理由については聞かなかったが、多分、実家に戻ると就職どころかバイトすらすることなく、なし崩し的に両親に寄生してしまうのではないかと親父は考えたのだろう。
　さすがにそんなことはないと言いたいところではあったが、否定できる身分ではないことは重々承知している。
　だからこうして、輝かしい未来への希望を胸に住み始めたこのボロアパートに、諦観と後悔しかなくなった今でも居座っているのである。
　特段、資格勉強や就職活動をすることもなく。
　
　はぁ……いったいどうして、俺はこうなってしまったんだろうな……。
　
　絶望という名の人生の崖っぷちに立たされて、俺はようやくこれまで自分が歩いてきた道を振り返ってみる。いったいどこで、俺は道を踏み外してしまったのだろうか。
　幼い頃の俺は、割と楽しく毎日を過ごしていたと思う。
　友達もたくさんいて、学校が終われば家でゲームをしたり、公園を駆け回ったりして、よく帰るのが遅くなってお袋に叱られたものだ。
　小学生時代はサッカーをやっていて、弱小チームだったけどレギュラーで頑張っていた。
　空手の道場にも通っていて、大会で賞を取ったこともある。
　特別な思い出なんてあまりないけれど、小さい頃の俺は、少なくとも明日が来るのを楽しみにしながら日々を過ごしていたのだ。
　しかし、中学、高校、大学と、年を取るにつれ、俺の人生はだんだんと暗雲が立ち込めてくる。
　家でも学校でも、徐々に一人でいることが多くなった。
　部活にも入らなかったから友達も減ったし、かといって勉学に励むこともなかった。
　学校行事とかにも積極的に参加する方ではなかったし、打ち上げや同窓会などのクラスで集まるイベントにもほとんど行ったことがない。
　家族とも上手くいかないことが多くなり、もはや口も利かない状況になったことだって何度もある。
　そうして俺の青春時代は、自分を取り巻く環境に漠然とした不満を抱きながら、ただ家と学校を往復するだけの一日を繰り返している内に、いつの間にか過ぎ去ってしまっていた。
　大学に入っても同じこと。いや、両親の目が届かなくなり、学校にすら行かなくなってしまったのだから、なお性質が悪い。
　それからの大学中退の経緯については前述の通りだ。俺は結局学生時代に何一つ身に着けないまま、社会に放り出されたわけである。
　俺は人生で、夢や目標などというものを一切持ったことがないし、だからか知らないけれど、ろくに努力というものをすることもなかった。
　ただ面倒なことを避けながら、惰性で生きてきた。その結果が、これである。
　この完全に行き詰った人生も身から出た錆、同情の余地など欠片もない。
　目の前は断崖絶壁で、退路も絶たれている。
　否、人生に退路なんて初めから存在しない。そんなことに、気づくのが遅すぎた。
　何が悪かったのだろうか。もはや今の俺にとっては、生まれてきたことが悪かったとしか思えない。
　ならいっそ死んでしまえとすら思うが、それもできない。ぼんやり命を絶つことを考えたりはするけれど、実行するだけの度胸は俺にはない。
　捲土重来、一念発起するだけの気力もないし、結局俺は、今までと同じような人生を送る以外に道はないのだ。
　大金や名誉や綺麗なお嫁さんなどという空想の産物を手に入れることはとうの昔に諦めた。
　いや、諦めたというか、初めから俺には無理だったのだと理解した。
　俺には怠惰で不毛な人生を歩むことしかできない。
　諺にも、三つ子の魂百までとある。
　こんなふうに生まれた俺は、こんなふうに生きていくしかないのだ。
　その分、来世では誇れる人生を送れると信じて。
　
　
　
　だが――最近少しだけ、こんなことを思う。
　
　なんだか俺って、本当に哀れなヤツだな、と。